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事実、信仰、経験   印刷 Eメール
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事実

信仰

経験

 現在の恵みの時代において、神は人を恵みにしたがって取り扱われます。神は人のために、すべてのことを達成されました。すべてのことが達成された からには、一定の「事実」が存在します。そして、それらは存続する「事実」ですから、人はすでに達成されていることを達成する必要はありません。神の働き すべては完全です。

 しかしながら、神の恵みは義なる恵みです。この理由により、「事実」についても、やはり人の協力が必要となります。これはどのような協力でしょう か?それは、神が成し終えたことに何かを付け加えることではなく、神が成されたことが事実であることを、人が認めることです。これが信仰です。

 

 信仰とは、神が言われたこと、また行われたことが真実であると認めることです。信仰とは、事実を受け入れること、すなわちそれらが事実であると認めることです。

  信仰とは「現金化する」ことです。わたしは、人が銀行で小切手を現金化するという意味で、「現金化する」という言葉を用いています。仮に、ある人があなた に小切手を渡すとします。銀行にお金があるということは、事実です。あなたがその小切手を現金に換えるということは、その小切手に記載されている金額が銀 行にあるという事実を認めることです。「現金化する」ことは、信仰を必要とします。信仰によって現金化することができ、そしてお金を使うことができます。

 

 今や、お金を使うことは、「経験」となります。銀行にお金があることは「事実」です。小切手を現金にすることは「信仰」です。お金を使うことは「経験」です。

 神の恵みにおいては、彼が人のために成されたことは、事実です。しかし、人はなおこれらの事実を経験しなければなりません。神の恵みを経験するこ とは、神が人のために達成された事実を、信仰によって要求することです。これらの事実は、神によって達成されます。人に必要なものは信仰です。事実は神に 属し、経験は人に属します。こういうわけで、信仰とは、神の事実が人の経験となることです。聖書がわたしたちに示すことは、ただ「事実、信仰、経験」で す。  >>さらに読む